『イヴの夜 』 小川 勝己

◆ イヴの夜  小川 勝己 ( 光文社文庫 )  ¥650  

 

 評価……★★★★★      

 

<あらすじ> 三沢は29歳にして初めてできた愛する恋人・麻由子が何者かに殺されるという悲劇に見舞われる。そして、余りのことにそれがまだ現実のこととして受け止められないでいる三沢に更なる試練が起こる。何と周囲は彼のことを恋人ではなく、ストーカーで、麻由子を殺した犯人だと思っているらしいのだ。どういう経緯でそうなったのかはわからないが、三沢がその事実に気付いた時はマスコミは彼を完全に悪役に仕立て上げていた。自分の悲嘆とろくに向き合うこともできないまま周囲の悪意にさらされ、三沢はまともな生活ができなくなっていく。

一方のひとみは21歳。無口で口下手で人付き合いが苦手な彼女は、高校卒業後転職と転居を繰り返していた。そうしているうちに、ほとんど対人恐怖症に近いくらい人とのコミュニケーションが苦手になっている彼女の現在の仕事は何とデリヘル嬢だ。そして、彼女はいくつかの理由から今の仕事が結構気に入っている。

 

そんなふたりがイヴの夜を共に過ごすことになる。初対面で、しかも、どちらも口下手で人付き合いの苦手なタイプだというのに意外と雰囲気は悪くなく、それなりに楽しい夜が過ごせそうな雰囲気だった。しかし、その時、双方に生じた誤解と、それぞれがたまたま所持していた品物から、事態は思いもかけない方向へと展開していく。

三沢は出刃包丁と刺身包丁、ひとみはスタンガンとダガーナイフを手にしていた。そして、その刃が相手に向けられ……。

この日起こったことは何だったのか、そして今起こっていることは何なのだろう? 事件は様々な人の考えの違いや誤解、些細な齟齬から起こってしまう。そして、人の心と心が触れ合うのも離れるのも同じような経緯で起こるのかもしれない。

三沢とひとみはどうなっていくのか?そして麻由子の死の真相は?

 

 


 ふふふ、私らしくもなく時節にふさわしいネタを持ってきましたよ。まぁ、あらすじを読んでおわかりのようにふさわしいのは題名だけですが^^; 

……と言っても、帯や紹介文によると一応恋愛小説らしいから強ち間違いでもないかな? それにほんとにいい話なんですよね、これ。 若干血生臭いし、ドロドロしてますけど。

本書の著者である小川勝己氏は私の一押しの鬼畜系作家で、全く感情移入できない登場人物ばかりの素敵な話を書く方なんですが、余り多作ではないんですね。なので、書店で本書を見つけたときは飛びつきましたよ。題名が 『 イヴの夜 』 なのは別に気にならなかったです。以前にも 『 まどろむベイビー・キッス 』 なんての書いてるし(笑)

しかし、レジに向かう途中、帯を見て躊躇しました。 「 この恋は痛いほど切ない 」 って、えええ?

ちょっと待ってよー、白新堂に続いて今度は白小川ですかぁ? 勘弁してよーと思いつつ、裏表紙の紹介文を読むと、 「 恋人を殺された三沢光司は、被害者にストーカー行為を続けていたとして、容疑者扱いを受けていた。口下手で対人恐怖症気味の風俗嬢・三枝ひとみは、護身用のスタンガンとナイフをバックに忍ばせていた。生きることに不器用な二人が出会ったイヴの夜、誤解から殺意が生まれ…。その日、いったい何が起こったのか?痛いほどに切ない恋愛小説がここに誕生した。 」。

………どう読んでも痛いほど切ない恋愛小説とは思えない。 で、これはもう買うしかないなと結局購入したわけですね^^; この要素でどうやって痛いほど切ない恋愛小説に展開していくのか是非知りたかったし、紹介文に書かれてる人物設定が相当に魅力的だったし、どう転んでも悔いはないよと思いまして。

 

で、結論から言えば、半分までくらいは小川勝己ファンとしてもほとんど違和感なく読めます。確かに恋愛めいた話はあるんですが、微妙に三沢の妄想なのかと思わせるところもあるし、三沢もひとみもそんなに感情移入しやすいタイプでもない。そして、彼らを取り巻くマスコミだの、周囲の人間だのの悪意や、ダメダメ加減なども小川氏らしくていい感じ。イヴの夜の惨劇が起こるくだりもいいです。

 

※以下ネタバレ有り※

 

 

しかし、その後、ふたりの殺し合い的な惨劇の描写があるかと思ったら、そこに挿入されるのは別の惨劇の描写なんですね。いや、正確に言えば悲劇かな。麻由子が絶命するシーンなんです。

で、ここで初めて麻由子の三沢への愛情が本物で、それも三沢のそれに負けないくらい深いものだったということがわかるんです。ふたりともが初めて本当に愛する相手を見つけて、深く愛し合っていたんですよ。

でも、それをお互い言葉に出して確認することがないまま過ごしてきていて、ちょっとぎくしゃくするようなところもあったのですが、麻由子はイヴの夜にそれを伝えようとしていたのですね。そんな折にたまたまアタマのおかしいバカと出くわしてしまい、非業の死を遂げてしまうのです。

この章はなかなかきますね。私の印象では麻由子も微妙にやな女って感じだったので全然感情移入はしてなかったんですが、それだけにここで初めてわかる真実が驚きで、逆にぐっときます。一般的な判断では決してモテるとは思えない三沢を麻由子が愛するようになった経緯、そして、それなのに何故か冷たくあたっているように思われた理由などがとてもリアルです。今まで読んできた三沢の心情と重ね合わせると、このふたりは出逢うべくして出逢ったんだなぁとしみじみ思われます。

なのに、三沢はその真実を知ることもなく、麻由子は伝えることもできず、理不尽で無残な麻由子の死によって引き裂かれてしまう。人によってはここで泣いちゃうかもしれませんね。そして、筋金入りの鬼畜系小川作品ファンはおそらく違和感を感じることでしょう^^;

 

そして、話は第二部へと移ります。雰囲気も転調し、場面も移ります。バカでダメな彼氏がいる、ごくふつうの低所得な若い女の子の暮らしぶりが淡々と語られて、はて、あの話は一体どうなったのか?と思っていると、これが3年後のひとみなんですね。

おー、社会復帰おめでとう!って思ってると、ここで衝撃の再会。こちらはスーパーの店員になってた三沢くんです。 で、3年前のイヴの夜の顛末が語られ ( 三沢すっげぇいいヤツ! )、 双方が謝罪し、誤解をとき、でも、何となくしこりは残ってるという感じになるのですが、そこで、ひとみが提案するのです。「 イヴの夜までの期間限定で恋人同士風になりませんか? 」と。

ひとみは3年前の事件がトラウマでイヴの夜をひとりで過ごせなくなっていて、誰でもいいから一緒に過ごす人が欲しかったのですね。それと、自分が負わせた傷が元で脚が不自由になった三沢にちょっとした罪滅ぼし的なことをしたいという気持ちもあったりして。

一方の三沢は訳がわからないながらも自分がトラウマを負わせたのならという気持ちもあり、その提案を受け入れることにします。

 

……で、この後は何となく想像がつくかと思いますが、心が通い合いかけたり行き違いがあったりして、最後に過去からの刺客みたいな事件が起こって、それが更にふたりを近づけ、そして、これからに希望を持たせるような明るい終わり方を致します。って、いい話になると急に雑な説明をするヤツ^^;

 

まぁ、その事件や、3年前のクリスマスイヴのやり直しのくだりなんかは小川氏っぽくて、なかなか面白いですが、基本的に後半はいい話です。 でも、三沢とひとみの関係が最後まで恋愛というレベルには達してないところがとても良いですね。

そういう意味ではこれは恋愛小説ではないです。本作における恋愛は三沢と麻由子のそれで、これは確かに痛くて切ない。

 

そんなわけで、本作は本来の小川氏らしい鬼畜っぽい要素 ( 負け組、裏社会、様々な悪意、犯罪、暴力 etc )を存分に含みながらも、最終的には希望の感じられる再生の物語なのですね。 本来の小川作品のファンでも前半部分で結構満足できるし、後半のいい話の部分もさしはさまれる過去の話やひとみの屈折した性格、ラストを飾る事件などから、余り違和感を覚えずに読めますし、読後感も非常に良いです。

いつもより微妙に感情移入できる、好感は余りもてない ( 物凄く共感できるという人もきっと結構ると思いますが^^; ) ながらも、リアルな感じにダメなキャラクターたちが、一度破壊されることによって、図らずも自力で再生へと向かうことになるという展開も面白いし、ダメ人間同士が探り合いながら人との付き合い方や、生き方を学んでいく感じがとても良いです。

唐突に恋におちてしまったりせず、相手の言動も自分の感情をも疑い、探り合いながら進んでいくところが、私のような性格破綻者にはとてもリアルに感じられました。

 

個人的にはラストで、三沢に映画に誘われたひとみがその計画の有効性について考えるところが凄く面白かったです。 「 なるほど。ふたり一緒に、同じものを観る---同じ体験をする。そのことについて語り合う。お互い共通する感想や、感性の違いなどが見えてくる。自分自身の、それまで気付いていなかった面についても見えてくる。そういうことか。ならばOKだ 」 ほんとに初めての人付き合いを学習してるって感じですよね^^ 

多分、大抵の人はこういうことを無意識に考えて行うのではないでしょうか? あるいは経験から学ぶのかな?

そして、その後に 「 なにより、だれかとなにかを共有するということ自体、これまでなかった経験である。それはそれで、素敵に思えた。 」 って、続くところにほのぼの^^ 

何かを素敵って思えるようになるだけでも進歩なのに、他者と何かすることを素敵と思えるなんて大進歩だよね^^ 

ほんとにこのふたりには幸せになって欲しいと思えます。

 

本作はこういう一般の恋愛小説にはまずないであろう独白も多数ありますが、相当にベタな独白や発言とかもあります。これは人づきあいを少し経験した三沢くん発信であることが多いですね。しかし、そういう台詞も本作の場合は不思議なほど素直に受け止められます。ベタって要するに普遍の真理だったりするので、特殊な設定下で発せられると手ずれした感じがなくなって心に届くのかしら。

「 人間って、なにも知らなかったら、なにも持ってなかったら、たとえば孤独とか絶望とか喪失感とか、そういったものと一生無縁でいられるんだろうなって 」 これをいわゆる恋愛小説の登場人物が言ったら、何、当たり前のこと言ってんだって突っ込みたくなりますが、本作の場合は読みながら大きく頷いちゃいました^^; 

何かを得ることは実は同時に何かを失うことなんですよね。たとえば、知識を得ることによって無邪気さを失い、恋人を得ることによって心の安寧を失う。

ああ、何らかのプラスの要素を手に入れる時には同時にマイナスの要素も受け取らねばならないと言った方が一般にはわかりやすいのかな? たとえば、地位や名声を得た人はそれを失う恐怖や不安から逃れられなかったりしますよね。

ただ、いずれにしても、こういうことをマイナスに考えるかプラスに考えるかで、全然状況は変わるのですが。知らないでいる幸せと知ってしまったことによる不幸はどっちが幸せなのか?って、何かなぞなぞみたいになってますが、これはその対象となることや、己の状況により答えが変わってくる難しい問題ですよねぇ。 

…というか、こんなことを考えない人が圧倒的多数なのかな? f^_^;) 

 

まぁ、何も知らなかった頃に戻りたいと言っても戻れるわけでもなく、一度手にした幸福を失った喪失感に苛まれているからといって、それを手にしていなかった自分に戻れるわけではない以上、人は今の現実と折り合いをつけながら、そして、失った過去を振り返り惜しむのではなく、それを取り込んだ未来を構築して生きていかねばならんのですよね。幸福を失ったことによって得たものもあるはずだし、その幸福だった期間の財産だってあるはずなのだからね。うむ。

…と、私が珍しく前向きな感じ ( 当社比 )になっていることからも、本作が優れた物語であるということがおわかり頂けるかと(笑) 

まぁ、ほんとにいわゆる恋愛小説が好きな方には決しておすすめできませんが、そんな方は私のブログを読みませんわな^^;

 

( 11月読了分 )