象の時間 鼠の時間
というのは、生物の種や個体による体感時間の差を表現する言い方ですが、久々にブログ書こうとしてみて、余りに時間が過ぎているのに愕然(@_@;)
まぁ、色々あったといえばあったし、忙しかったといえば忙しかったけど、ええ?1年と7カ月???
一体何してたんだ、お前?って自らに問いかけずにはおられません(*_*)
ほんとに何してたんだろう……。
確かに、精神的な理由により、新しい創作物へ接する機会は激減してたけど、書きたいことはたくさんあったはずなんだけどなぁ。
しかも、物凄い引きこもり状態が続いていたので話したいことを誰にも話してないし、もちろん他のSNSとかもやってないし、鬱憤たまりまくってるはずなんだが、大丈夫か、私?
実は、今回のカナザワ映画祭について書きたいことが山のようにあって、すぐには書けないけど、その決意表明に来たのですが、うーん、自分のことながら不安になってきたな(-_-;)
様々な作品や映画祭や金沢についての個人的なあれこれを書き連ねたいのはさることながら、やっぱり『無垢の祈り』について、映画好き、鬼畜小説(この表現を原作者はお厭なようですが^^;)好きとしては書かないわけにはいかないと思っているのですね。
というか、あの場にいられた者として、書いて伝えることが使命なのではないかと。
個人的な結論だけざくっと言いますが、ほんとに素晴らしい作品でした。
監督の自主製作ということなので、これはどうにかして報われてほしいし、評価されるべき作品だと思います。
でも、私は見ていて物凄く厭でした。ほんとに生理的に厭というか。
そして、そう感じた幾つかの理由から、この作品は絶対にソフト化して欲しくないと思います。
多くの人に見て欲しいと思うと同時に滅多な人には見せられないという気持ちが物凄くする作品なのです。
だから、生半可な気持ちとか、偶然とかうっかりとかで見て欲しくないのです。
それは作品に対しての思い入れというより、ひとえにその危険性故からです。
あの映画を見ると、確実に引っ張られる人が出てくると思います。
その引っ張られる先はその人によって違うと思いますが、被虐待経験のある人の自殺とかはほんとに起こり得ると思います。
もちろん、いい方向に発現することもあるとは思いますが、自分の受けた衝撃からすると、ヤバイ方が多いのではと思います。
あと、監督と原作者は極めて健全な方々らしく、あの作品に何ら危険性を感じなかったようですが、病んだ感性の私からすると、あれは駄目です!
あれは物凄く抜けます!!!
具体的なことを書かないのが私のせめてもの良心ですが、見る人が見ればこれでわかって下さるかなと…。
ああ、ざっくりとか言って書き過ぎちゃったな(>_<)
でも、これは書くべきことだから、とりあえず、このままアップしておきます。
きちんとした感想が後に出るかどうかは神のみぞ知る^^;