『夜の明けるまで―深川澪通り木戸番小屋』 北原 亞以子

夜の明けるまで 深川澪通り木戸番小屋 (講談社文庫)

 

夜の明けるまで 深川澪通り木戸番小屋 (講談社文庫) 北原 亞以子 ¥540

 

  評価…★★★☆☆

 

<内容紹介>

深川澪通りの木戸番を勤める笑兵衛とお捨は五十年配の仲の良い夫婦だ。ふたりはその品のある風貌と仕草やもののわかった振る舞いなどから、周囲の人には元はお武家様か大店の主人だったのだろうと思われているが、その過去を知るものは誰もいない。

しかし、彼らのその雰囲気と人柄が慕われ、木戸番小屋には自然と人々が集まるようになってきた。ふたりとの会話を楽しみにくる人々はもちろんのこと、屈託を抱えて訪れる者もいれば、悩みを解消してくれたのを感謝してお礼にくる者もいる。そして、夫婦自らが、何らかの理由で行き悩んでいる人を招きいれてしまうこともある。そして今日も木戸番小屋に誰かがやってきた。

 

人気シリーズの第四作。

ふたりでいる時はやさしいのにいざとなると意地悪な姑や困った舅の言いなりになる夫に裏切られた気持ちになり、離縁したおいとはそれから他人のことが信じられなくなった。そんな彼女の気持ちが妙な対応となり、初めは親切だった周りの人も彼女に敵意の目を向けるようになる。おいとはそれを見ては「ああ、やっぱりみんな二つの顔をもってるんだ」と思い込むという悪循環に陥っていることに気づいていなかった。そんな彼女だが、どうしたわけか番屋の書役を務めている太九郎と親しくなり求婚されるまでになった。穏やかな彼とならうまくやっていけるのかもしれないとその申し出を受け入れる気になった時、隣家の女房が太九郎に嫁の世話をすると言っているのを聞いてしまう…という表題作他、江戸時代の女性の職業事情がわかる『女のしごと』、恋を成就させるのに15年かかった男女の話『ぐず』など全8篇を収録。

 

 

 

  

このところかなり順調に読書記録をアップできてます(^_^)v やっぱり読んだ当日に書くのが一番いいですねぇ。ただ、やたらに長くなりすぎるという欠点があるけど…。

 

というわけで、昨日読了分。読みなれたシリーズものの短編連作ということで疲れたアタマでもさくさく読めました。安定した面白さです。しかし、こういう何作も読んでる好きな作家の場合の星の付け方ってちょっと迷いますね。読んできた本全体での評価なのか、同一著者内での評価なのか。私は前者にすべきなんだがと思いつつ後者でつけてる気がします。人様に紹介するには点が辛くなってしまって良くないけど、自分のリアルな評価を優先したくなっちゃうのですよね。

 

※以下ネタバレ有り

 

 

で、シリーズ四作目の本書はちょっと今までと違う読後感。これは何だろうと考えてみると、今回は基本的にハッピーエンドなんですね。しかも、今までみたいにやり切れない割り切れない思いとかがほとんどない。あー、それもあってさくさく読めたのかぁ。

私の印象では北原作品って割と突き放した感じのところがあるんですね。ラストも未来を暗示した程度で話を落とさなかったり、ほとんど説明しないままだったりという形が多いし、ちゃんと落ちる場合は不幸な結末だったり、一応解決はしたけどやり切れない部分があったりとかするという感じで。特に慶次郎シリーズにその傾向が強い気がします(まぁ、シリーズのきっかけになる作品がえらい不幸でやりきれない話だからなぁ…)。

この木戸番小屋シリーズは比較的明るいけど、やっぱりその傾向はあって、何でこうなっちゃうのよぉとか思って読んでいた記憶があるのですが、実際にハッピーエンドになってみると何だか物足りないもんなんですねぇ。ちょっと驚きました。

 

例えば、『ぐず』(内容紹介で既にちょっとネタバレ気味ですね…)。

不義密通に近い感じで結ばれたふたりのお話なんですが、その事実が明るみになってそれなりの制裁は受けるものの、事情のある話だったので内々に穏便に処理は済ませてもらえるんですね。で、晴れて自由の身になって今こそ夫婦にって時に何故か連絡を取ろうとしないふたり。何だかやけに真面目な人達でコトが明るみに出た時の「もう会わない」という表向きの誓約を守り続けるんですね。しかし、色々なことが落ち着いた15年後にちょっとしたきっかけがあって、女の方がやにわに「こうしてはいられない!」て感じになって男を捜し始める。そして、結構簡単に見つかって、「俺も待ってたんだ」で、めでたしめでたし。

…となるんですが、ここはやっぱり結ばれちゃダメだろう!見つかってもいいけど、男は既に世帯を持っていたとかしなきゃ。そこがリアルで切ないんじゃん!

あと、『絆』。

元大店の主人で没落して現在は隠居の男が、商売が傾きかけた時に追い出すようにして別れた妾の娘に十数年ぶりに巡り会う。自分の仕打ちを後悔していた隠居は、わずかながら残っていた資産をぜひとも彼女に渡してやりたいと思っていたので、彼女の様子がおかしいのも夫と名乗る男がどうも堅気じゃないのも見て見ぬふりをする。

しかし、娘の留守に夫と名乗る男に資産をよこせと凄まれた時には断固として断る。明らかに娘が不幸になるようなことにはしたくなかったからだ。そうしてるうちに帰ってきた娘は開き直って、あんたのことをずっと恨んでいたという。それを聞いて調子にのる男に隠居はやはり資産は絶対に渡さないと言い、怒った男は包丁で切りかかってきた。これで娘の気が変わってくれればと覚悟して切られたはずの隠居の前に血を流して蹲る娘の姿が。

…と、ここまではいいんですよ。でも、娘は全然かすり傷みたいだし、ヒモもどきもこれでびびって逃げちゃうみたいだし、それじゃダメじゃん!ここはやっぱり娘は息を引き取らなきゃ!やっと心が通じ合えた良かったなぁ、でも、遅かったね…ってのがいいんじゃん!

 

そういう意味では『いのち』(藩主からも養父からも実父からも愛され期待され、本人も希望と熱意に満ちていた好青年の武士が、長屋で貧しい1人暮らしをする婆さんを助けて死んでしまう)は前向きに終わるけど、やり切れないことだらけでよかったなぁ。ただ、寛之進様はできすぎだよ。

 

 

…という風に何故か不幸なラストを求めてしまう自分がいるのに非常に困惑してます(T_T)