『ロウフィールド館の惨劇 』ルース・レンデル

ロウフィールド館の惨劇  ルース・レンデル/小尾 芙佐 訳 (角川文庫) ¥567  評価…★★★★★ <あらすじ> ユーニスは有能な召使だった。家事万端完璧にこなし、広壮なロウフィールド館をチリひとつなく磨きあげた。ただ、何事にも彼女は無感動だったが・・・・・・。その沈黙の裏でユーニスは死ぬほど怯えていたのだ、自分の秘密が暴露されるのことを。一家の善意が、ついにその秘密をあばいた時、すべての歯車が惨劇に向けて回転をはじめた・・・・・・ (文庫裏表紙紹介文より)
名作と名高い本作を知ってからずっと読みたいと思っていたのですが、なかなか巡り会う機会がなく、この歳になってようやく読むことができました。いやぁ、ほんとに物凄い傑作でした。好き好きはあると思うけど。 この作品の何が凄いかって、作品の冒頭から犯人とその動機が明示されていることですね。実は私の読んだ文庫の紹介文にはその冒頭の要約が入ってて、いくら有名な作品だからってそれはどうかと思ったけど、でも、その予備知識があってもこの冒頭の文章は充分に衝撃的でした。 ※以下ネタバレ有り※ ユーニス・パーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである。これという動機や予測もなく、金のためでもなければ身の安全を守るためでもなかった。 …え? ですよね。 もう、この瞬間から恐ろしい勢いで物語に引き込まれていきます。結論は端的に示されてはいるけど、なぜ文盲と一家殺害が結びつくのか?さしたる理由もなく?という事件の詳細に対する興味と、それに充分に応えてくれる展開の面白さ、そしてレンデルの悪意に溢れる文章の魅力で一気に読めてしまいます。 カヴァディル一家4人は再婚同士の父母とその連れ子の娘(父側)と息子(母側)という家族構成で、それぞれがちょっとした問題や欠点を抱えながらも、家族への愛情に満ちて他者への思いやりもあり、人生に前向きという実にいい人たちなんですね。でも、この人たちは死んじゃうんですよ。しかも、ユーニスに殺されて。来るべき惨劇を知りながら読むホームドラマって、なんともやりきれないですよ。 そして、問題のユーニス。彼女は一般的に言えば、余り魅力のある存在ではなく、同情や共感は得づらい人物です。家事は万能なのに文盲の召使というと、貧窮故にそんなハンデを背負ってしまったが、できることを頑張る真面目な人なんだとか何となく思ってしまうのですが、全くそんなことはなく、いくらでもあった文盲を克服する機会を頑なに拒否し、それを隠し通すことに全力を注ぎ、また一方では、偶然弱みを知った数人の人々を強請ったお金を生活費にあて、寝たきりになった実父の面倒を見るのが嫌になったら顔に枕を押し当て殺すような人物なのです。その二つの犯罪は文字という悪徳を知らない彼女のことですから、当然何かからヒントを得ることもなく彼女独自の着想によって行われたわけです。そう考えると彼女の人となりというのがよくわかりますよね。カヴァデイル家の家長ジョージが初めて彼女と顔を合わせた時に、理由もなく悪寒を感じたのもむべなるかなです。 しかし、そんな恐ろしい存在であるユーニスなのですが、何だか妙に憎めない感じもするのですね。甘いものとテレビが大好きで、でも、そのどちらに耽溺してる時も無表情無感動な様子などを見ていると何だかおかしくなってしまう。これは大きな肉食の爬虫類なんかを見て怖いと思いながらも、ふとしたユーモラスな動きなどをかわいいと思うような気持ちかもしれませんね。そして、あの手この手で文盲を隠そうと腐心する様を見ていると、なぜかしら応援したくなってきたりして。そこまで頑張るなら隠し通させてあげたいって気になるんですね。 そんなわけで、物語も終わりに近づいて、とうとうミリンダがそれを見破って指摘してしまう場面にきた時には、読みながら「いやー、やめてーっ」って叫んじゃいそうでした。しかも、それが同時に惨劇の幕をあけることになるのもわかっているしね。 そうなんです。実はそこまで読んでる時には、ユーニスがかっとしてミリンダを殺ってしまうのかしらとか思っていたのですが意外にもそうではなく、その時点ではとりあえず盗み聞きしていた電話の内容で脅迫するだけだったんですね。あー、そういえばそんなことあったなと思い、一瞬ほっとしつつも、え、じゃあ、いつ、どうして犯行に及んじゃうの?と、またドキドキハラハラするはめになります。 そして、そこから実際の犯行に及ぶまで、犯行の最中、犯行後の行動も全て予想外で、予想以上の怖さでした。ほんとに終始、緊迫感に満ちた読書でありました。 ところで、本作で忘れちゃいけない人がもう一人います。それはジョーン・スミス。実は彼女こそがこの惨劇の立役者なんですよね。作中ではっきり狂人と書かれてますが、完全にそうなる前の行動もちょっと常軌を逸していて理解し難く、ユーニスとはまた違う形で歪んだ精神の持ち主なのです。 愛情溢れる裕福な家庭に生まれ育ち、美しく頭もよく充分な教育も受けていた少女が、何故歳の離れた妻子持ちの男(おそらく大した教養もない上に暴力をふるう)と駆け落ちして、そこから転落の人生を辿っていったのか? そして、そこから救い出してくれた夫に誠意を尽くすことなく、密かに売春を続けていたのは何故なのか? 詳細は語られずじまいの彼女の物語にも非常に興味がありますね。そんな生活の中、ある日突然狂信者になって、やがて、ほんとに狂者になっていく心の動きみたいなものは何となく想像がつくけど。 そんなわけで、物凄く面白くてよくできているけど、とてつもなく嫌な話、それが本作でした。 誰も悪い人はいなくて(ユーニスは悪意はないのです)、惨劇のきっかけも善意から。そして、そこまでして隠蔽しようとした秘密は白日の下にさらされる。つまり、被害者にとっても加害者にとっても無意味な惨劇だったことになりますよね。何というか今までに経験したことのない不快さです。 しかし、レンデルの文章って物凄く独特。行間から悪意が滴り落ちるような感じ。この作品にはぴったりだし私は圧倒的な迫力を感じたけど、全く性に合わない人も結構いそうだよね。常にこんな感じなんだろうか…。他の作品も読みたいなぁ。本は注文しないという節を曲げるべきか(>_<)